2022-06-26

大阪地裁判決を受けて川田中家の声明



 男女のカップルには即日適用される「結婚」という制度が、ぼくらには適用されない。男と男であるという理由だけで。
 2019年2月4日に、ぼく田中昭全とパートナーの川田有希は三豊市に婚姻届を提出した。11年と少し連れ添って、ぼくはもうこの人しか居ないと思っているし、川田もまたそう思ってくれていたから、ぼくらの関係性をずっと見守ってくれていた友人2人に証人になってもらって、自分たちがこれから人生の最後まで住む予定にしている三豊市に提出した。
 その婚姻届は残念ながら不受理。その理由を市の職員さんは懇切丁寧に説明してくれた。ぼくらの結婚は国にしたら「不適法」なんだって。ぼくらの想いが詰まった婚姻届は、あっけなく突き返された。何とも切ない。
 それから10日後の2019年2月14日。ぼくらは大阪地方裁判所に出向いていた。同性同士が法的な家族として扱われないこの不平等を司法の場でつまびらかにしてもらいたいという意図があって、訴訟を起こしたのだ。恥じることは何ひとつないので、顔も実名も居住地も公表して臨んだ。
 それから、3年の間に12回の裁判があった。ぼくとパートナーは皆勤賞を狙っていたのだけど、新型コロナ感染症の影響で泣く泣く参加をあきらめた回も数回あった。
 2022年6月20日、ついに判決。正直、緊張はしていなかった。やれることは全部やったという自負があったのだろう。今更どうこう言ったところで、判決に影響があるわけでもない。
 判決文を読み上げる土井文美裁判長の声が法廷内に響く。
「原告らの請求をいずれも棄却する。」
 それを聞くなり、被告側弁護人の数人がすぐに退廷をした。結果を真っ先に報告をするのだろう。傍聴席からも何人かが退廷した。把握はしていなかったけど、ぼくらの弁護士もかな?
 裁判長がまくし立てる言葉が法廷内に響く。その言葉の隅々まで、何ひとつ聞き逃すまいとみんなが集中して聞いていた。早口で、ところどころ呂律が回っていない。もう少し落ち着いて読んだらいいのにと思いながら、聞いていた。
 うなづけるところは何箇所もあった。例えば、制度があることで当事者が救われること。憲法24条はあくまで異性婚の定義をしているだけなので、同性婚を禁止しているわけではないということ。
「しかし、」
 その接続詞の後に、前半で言ったこととは到底整合性の取れない結論が言い渡される。文法的にも、なぜそれが導き出されるのか全く判らない。論理が破綻している。
 ぼくらの悲願である憲法14条「法の下の平等」にはほとんど触れない。触れかけても、なぜか憲法24条に引き戻されて言及が終わる。何だこれは。頭の中は「?」だらけである。
 衝撃的だったのは、「結婚は男女が子どもを生み育てる関係を社会が保護するもの」と明言したことである。一瞬、自分の耳を疑った。同じく原告で、今年の8月に子どもを出産予定のテレサはどんな顔をして聞いているのだろう。彼女を前にして発された裁判長の、その言葉のデリカシーのなさに、愕然とした。
 それから、民法上の他の制度、例えば契約や遺言で「不利益は相当程度解消ないし軽減される」とも言っていて、お金や時間かけて作らなくちゃいけないこういう制度にぼくらを誘導して、不平等であることは放置したままなんだと心底びっくりした。
 その直後には、法的効力がまったくない地方自治体のパートナーシップをもって、「国民の理解が進み差異が緩和されつつある」と断言する始末。ここで議論しているのは理解なんかじゃないんですよ、法的効力のある制度をぼくらにもくださいって話でしょ。裁判長は、川田のお父さんの意見陳述の、何を聞いてたんだろう。
 また、法的保護に関しては「結婚」でなく「類似の制度」でもいいんじゃないかとする提案もあった。この訴訟が『結婚の自由をすべての人に』としているのは、すでにある婚姻制度の間口を同性同士にも拡げてくださいという話なのに、今までどこにも言及されてなかった新しい代替え制度を作るみたいな方向に話を持って行く時点で、なるほどこの人は分離政策がどれだけ差別的なのか理解できてないんだなと思った。
 事あるごとに「民主的な議論」を強調するところも、司法にあるまじき姿勢。そもそも、一向に議論を始めない立法府に業を煮やして始まった訴訟であることは加味されてもいないのか。
 結局、大阪地裁判決は立法府に丸投げした形で終結することとなった。


 ぼくらは悔しいけど泣かない。これは長い道のりの、たかが3分の1にしか過ぎないから。またこの裁判は、大阪だけでなく、札幌・東京・名古屋・大阪・福岡でも進んでいる。東京などは、追加の訴訟まで起こっている。黙ってたら、いつまで経っても居ないことにされてしまう。この国はそういう国だ。過去の裁判を見ても明白である。だから、誰かが声を上げなきゃいけない。
 今回の大阪判決では、多くの人が怒っている。それは当事者の人間もそうだけど、そうでない人たちも一緒になって怒ってくれている。それが何より心強い。
 また、ぼくらが矢面に立ったことで、確実にエンパワーメントされている人たちが居るのだという実感もあった。それはそのまま、ぼくらのエンパワーメントにもなっている。どうぞ一緒に声を上げ続けてください。自分事として。
 この裁判は、『婚姻の平等』を目指すわたしたち全員の裁判です。


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