2016-11-19

[川田中商會・事業案内] 田中昭全による選曲、或いはDJ。


 「DJ」という単語を聞いて、『ラジオで喋っている人』を連想するのか、『レコードをスクラッチしている人』を連想するのか、はたまた『バンドの後ろで何だか唄いながら踊っている人』を連想するのかで、その人がどの世代に属するのかがだいたい判る。ラジオのパーソナリティ或いはアナウンサを連想する人は、だいたい高齢の方。ターンテーブルの前で2枚のレコードをスクラッチしている様を連想する人は、20代後半から40代半ばにかけての青年~中年層。何もしてないように見えるのに場所ばかりとるDJブースの中でバンドの添え物みたく踊っている人を連想するのは、10代~20代中盤の若者世代かな?
 川田中商會の田中はもう四十路なので、DJと云えばレコードをスクラッチする「クラブDJ」を指します。自己紹介の時に「DJしてます。」と云って、それ以外のことを連想する人にはきっぱり「違います。」と訂正しております。


 厳密に云うと、レコードをスクラッチするのはHipHop系のDJであって、ぼくは選曲系のDJなのでまずやりません。その辺は、実際に聴いてもらった方が早いです。

 そもそも「DJ」とは「ディスクジョッキー」の略で、最初は『ラジオでレコード(ディスク)をかけながら曲紹介をする人』の総称だったんだけど、70年代も終わりにディスコの時代がやって来て、『踊れる音楽のレコードを立て続けにかける役割の人』を指すようになった。最初の頃はディスコでも、曲紹介や聴衆を煽るためのアナウンスまでやっていたらしい。それがいつしかなくなって、選曲に徹するプロフェッショナルになって、今の「クラブDJ」があるというわけ。
 ちなみに、バンドの後ろで踊っているDJは、そのバンドの音楽を実際に作っているか、編曲しているか、実際にライブでレコードの音やノイズを加えているか、はたまた格好だけでほんとうに何もしていないかのどれか。いちばん最後の人は、もはや「DJ」じゃないです。

 さて、ぼく(田中)がなぜDJを始めたのかについても書いておこう。いい機会なので。

 20代初頭の頃(2000年の直前)、DJをしている大学生と知り合うことがあった。バンドをやっている友人から紹介されたその彼は、大学で心理学を専攻しながら、そのかたわらでDJをやったり音楽活動をしたりしている人だった。
 高卒で、すでに社会人をしていたぼくが、とある縁で大学生の彼らと知り合うことになる。その頃日本では、フランスの音楽家:セルジュ・ゲーンスブールの再評価がなされていた最中で、ぼくは復刻されたばかりのアナログレコードを手に入れたという話を彼らにしたのかな?そしたら、『今度のライブイベントでよかったらDJに挑戦してみないか?』と誘われたのだった。『やり方はちゃんと教えるから』と云われたので、「じゃあ、やってみる。」とぼくは引き受けた。
 レコードは、そんなにたくさん持っていたわけじゃないから、大学生DJの彼の出番の直前に30分程度やったのかな?それが結構、好評だった。大きな失敗もなく初めてのDJを終えた時、これは面白いって思えた。『音楽ずきな自分にはぴったりかも。』って。それがきっかけで、以降もその友人たちとイベントをやったり、「ar(アル)」というイベントを立ち上げたりして、高松を中心に活動してた。
 ジャンルとしては、色々ある。60年代のポップスから、ジャズやボサノヴァを中心に、60年代日本のGOGO歌謡もかけるし、それにもちろん最新のポップスやクラブ系、ハウス系、R&Bなんかも織り交ぜる。かける音楽に共通するのは「ポップ感覚」で、ダンスできるのはもちろんなんだけど、弾けるようなメロディやビートの音楽をどうしても選んでしまう。

 一方でぼくは、選曲家としての仕事もやっている。かつてはラジオ番組でも選曲させてもらったり、友人の展覧会やお店、自治体のイベントで流す音楽や、演劇のサウンドトラックなんかも担当したことがある。持っている音楽の数はおよそ1万9千曲。その中から、それぞれの主旨に合う音楽を探し出して、曲順なんかにも相当こだわる。
 どんな空間でも、音楽を流すことで一瞬にして空気が変わる。そのマジックに、幼い頃から魅了され続けている。小学生の頃まで遡ると、学芸会のお芝居にサウンドトラックをつけたのは、ぼくが最初だったように思う。

 日本の地方では、「DJ」を始めとするクラブカルチャーはあまり理解されていない。欧米のように、日常でダンスをする機会があまりないから。それでも、1990年代半ばにDJという文化が入って来るようになった直後は、こんな地方都市にもクラブやクラブイベントがたくさんあった。ぼくはそのブームの真っ最中に、青春を享受できた幸運な世代。仲間たちと、朝方まで踊り明かす楽しみを知っている。
 ブームは過ぎて、レギュラーイベントこそ持っていないものの、自分で企画するイベントではDJとして名を連ねることが多い。時には友人の結婚パーティでDJしたり、呼ばれたらお店のパーティやイベントにも出向いて行く。音楽で、その空間を演出する仕事として、表現の場をいただいている。


 ブログにも「仕事」として書いておかなきゃってずっと思ってたんですが、今回やっと書くことができました。DJもしくは選曲のご依頼がありましたら、お気軽にお問い合わせください。



 余談。

 ぼくがDJを教わった例の大学生とは、すっかり疎遠になってしまった。福岡の大学で心理学の研究員になったというところまでは聞き及んでいるのだけれど、(彼の引っ越しを手伝ったし、一度だけ遊びに行ったこともある。)その後どうなったのかしら?心理学の研究が何より面白いみたいで、あの頃はすでにDJもやってなかったけど、ぼくは彼から、とても重要なことを教わりました。

「DJって、結局はどれだけたくさんの音楽を把握しているかなんだよ。考えてみて。ある目的があって、たった10曲の中から選ぶのと、1000曲の中から選ぶのでは、説得力が全然違うと思わない?君がDJをするなら、よりたくさんの音楽を聴いて、分析して、把握して、その瞬間にちゃんと取り出すことができるよう訓練しておかなくちゃいけないよ。より多くの選択肢を知るという努力を、惜しんではいけない。」

 その後の人生の、ことある場面で、ぼくは彼の言葉を反芻している。それはもちろん、音楽だけの話ではない。あれからもう20年ほど経とうとしているのに、まるで昨日言われたかのように、ありありと思い出す。大いなる学びを与えてくれた彼に、ぼくはいつも感謝している。



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