2016-04-21

市井のゲイ、「結婚」について考える。

 先日、ある写真をSNSに投稿した。



 「We are getting married! ぼくたち、結婚します!」



 一昼夜経たないうちに「いいね!」と「おめでとう」コメントでいっぱいになった。でもごめんなさい、これフェイク(偽物)です。ユーモアとアイロニー(皮肉)を含んだネタ投稿だったんだけど、どうもそれが伝わらなかったようで、さすがに焦りました。4月21日の時点で、「いいね!」は273人。コメントは57件。だまされる方が悪いと思ってしばらく放置してたんだけど、あんまりみんな素直に信じるものだから、釈明せざるをえない状況になってしまいました。

 真相はこうです。

 岡山でウェディングプランナーをされている方が居て、今後LGBT向けのプランを用意する方向で動かれてます。そのパンフレットに使う写真のモデルを探しているとかで、共通の友人からぼくらカップルに打診があったのが3月某日。もちろんふたつ返事で了解して、メールでの打ち合わせを重ねました。衣装合わせのために岡山へ行ったのが4月17日。これは、その時撮った写真です。あくまで衣装合わせなんで、ふたりとも下に洋服を着たままです。場所は貸衣装屋さんだしね。
 それまでも、ぼくは独自の「結婚観」をSNSに書き綴っておりました。それらの文章をちゃんと読んでくれていた方にはこれがフェイクだと最初から判っていたようで、「いいね!」はしても静観してくれてました。ぼくとしては大半の人がそういうふうにスルーしてくれるものと思ってたんですが、真に受けた人が思いの他たくさん居て、「わーどうしよう!」と内心焦りまくったのでした。

 さて、ここからは今回のことに対する考察です。勘違いした人は全部読むこと。

 「結婚する」と宣言した途端、「おめでとう」と紋切り型に返すのはどういう心理が働いてるんでしょうか?ぼくには強迫観念にも似たそれを、不思議に思います。というのも、ぼくとパートナーはゲイカップルであるがゆえに、「結婚」という制度が適用されません。同性同士の結婚が、日本ではまだ認められていないからです。それはたぶん、多くの人が共通認識として持っている事実です。だから、本来なら「おめでとう」ではないはず。この写真を投稿した時も、「結婚って云ったって君たちはまだできないじゃん。」というツッコミが当然あると思っていたんですが、ないんです!それが!!そっちにまずびっくりしました。
 ぼくらは昨年、日弁連に対して『同性カップルに婚姻が適用されないことは人権侵害かもしれないので調査してほしい』という旨の、「同性婚人権救済申立」を455人の当事者と行いました。その経緯は、このブログにも延々と書き連ねました。
 あれから10ヶ月ほどが経過しようとしている現在。ぼくらが顔も本名も出して記者会見に挑んだあのアクションは、そういう問題が実際にあるということを知らなかった多くの人に、考える契機を与えたようです。真摯に、より誠実に取り上げてくれたメディアは枚挙に暇がないほどです。ただ、問題の本質が解かっていないか、或いは性に関する問題というだけで現状把握すらしようとしない一部の政治家から、無知な差別発言はありました。それもこのブログに取り上げているので、興味がある人は過去ログを辿って読んでみてください。

 その流れの中で、ゲイの当事者が「結婚」について考察する記事が出ていました。大塚隆史さんは、30年も前からオープンにして活動しているゲイのアーティストです。


「LGBTは、結婚を輝かせる最後の光」大塚隆史さんに聞く、同性婚の意義」(THE HUFFINGTON POST)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/07/takashi-otsuka-lgbt2_n_9632766.html


 ここに書いてあることにほぼ同意見だったので、SNSでもシェアしました。以下は、その投稿につけたぼくのコメント。


『 一般にはなかなか知られていない概念だけど、恋愛観や結婚観には「モノガミー」と「ポリガミー」って分類がある。1人対1人で親密な関係を作ろうとするのが「モノガミー」。つまり、一般的な一夫一妻制の「結婚」はこれに当たる。一方で、1対複数人で親密になることもある。アフリカなんかの一部の国でなされている一夫多妻制というのがこの「ポリガミー」に当たる。ただし、そういう文化圏外において、結婚している特定の相手が居るのにその人の了解を得ないで第3者とつきあうのはただの「不倫」なんで、そこんところは勘違いしないでね。
 で、ぼくらが散々主張している「同性婚」だ。ぼくは「モノガミー」で、特定の1人と親密で居たいと思うわけ。まだここまで可視化が進んでいなかった時代のゲイカップルは、この記事でも取り上げられている「養子縁組」を使って法的な結びつきを代替したケースが多い。その場合、戸籍には自動的に年上が「親」と記載され、年下の人間は「子」となる。ぼくはそれが不服でたまらない。対等に結ばれたいのに、「親」と「子」でしか結ばれないのはとてもおかしいと考えている。
 フランスなど一部の国では、「同性婚」とは別に「パートナーシップ法(シビルユニオン)」というものがある。これは、「同性婚」が成立する前段階において制定されたもので、相手が異性か同性かを問わずに「パートナー」として認めましょうという主旨の法律だ。国によって保障される内容に違いはあれど、様々なケースをカバーできる法律として今も有効である。この記事によると、1人対複数人の「ポリガミー」を保障するケースもあるみたいだね。
 ゲイのコミュニティの中でも、「同性婚」に賛成の人が居ればもちろん反対の人だって居る。既成の概念に囚われたくないのに、なぜ男女の「結婚」を同性カップルにまで持ち込むのかと。そういう懐疑的な声が確かにある。「同性婚」が実現すると、ゲイの当事者も「結婚」が重圧になるんじゃないかと早くも危惧している声すらある。異性愛者たちの多くに『結婚はしなければいけないもの』という重圧があるように。
 しかし、はっきり云おう。それはおかしい。「同性婚」がすでにあって、「同性婚」を使わないという選択肢があるなら、「アンチ同性婚」を散々主張してくれて結構だ。だけど、感情論ではなく単に制度として「同性婚」を必要としている当事者が居るのに、それを必要としない人間が同じゲイであるというだけで声高に要らないと主張するのはおかしいのではないか。ぼくはそう思う。
 「婚姻」を定義した憲法24条の文言には「両性の合意の上で」とある。それが同性婚の妨げになっているという主張もある。しかし、憲法学者の見解によると、これが憲法にはっきり明記された理由は別のものだという。日本でかつて主流だった家同士の結婚には、結婚する当人の意思が全く尊重されていなかった。個人の人権を保障しようとする近代国家で、それは人権侵害となる。そうなることを回避するために盛り込まれたのがこの文言である。だから、同性同士の婚姻を否定する主旨のものではないと。まさにその通りだろう。憲法をいじらなくても、新たな法律でカバーすれば何の問題もないはずだ。だからぼくらは昨年、「同性婚人権救済申立人」になった。
 しかし、「同性婚」に強くこだわるかと云うとそういうわけでもない。別に「パートナーシップ法(シビルユニオン)」でも構わない。特定のパートナーと年数をかけ2人3脚で作り上げる生活が対等なところで共有できる法的保障があるなら、その名称は何でも構わない。ぼくはそう考えている。』


 この記事をシェアするすこし前、ただひたすらに「結婚がしたい」と主張する女性と会った。よくよく聞いてみると、「相手は誰でもいい」と云う。「子どもが欲しいだけだから、一度は結婚してすぐに別れたい」とも云う。法的な保障のために結婚という制度が必要なのに、法整備がなされていないからそれができないぼくには、その主張に何の共感も抱けなかった。どう考えても本末転倒である。「親のため」という主張もあったが、だからと云って自分の人生を「結婚」だけに縛る必要があるのだろうか?「婚活」をする女性の大半が、こういう矛盾を抱えている。
 そして親もまた、「結婚」に関してはその程度の認識しかないのであろう。以前、「結婚をしてこそ一人前」と声高に主張する近所のおじさんと遭遇することがあった。ぼくは「またか」と思いながらテキトウに話しを流した。『実家暮らしの子どもが親の所帯から離れて独立する』という話なら、何も「結婚」に限らなくていいんじゃないか?田舎に行けば行くほど、独立することの選択肢は「結婚」しか取り沙汰されない。それがそもそもの間違いなんじゃないか?
 ぼくもまたカミングアウトしていなかった頃は、親からの「結婚しろ」コールを受けて苦痛だった。「いとこの何々さんは結婚して子どもまで居るのに…」「早く女の子を見つけないと相手が居なくなるよ」てなことを散々云われた。「ぼくがすきなのは男の子だ」とも云えず、読んで字のごとく『泣き寝入り』した夜もあった。パートナーができてついにカミングアウトした時は、「やっとそういう全部から解放される!」という気持ちの方が先に立ったくらいだ。
 そんなことがあったから、ぼくは「結婚」に甘い蜜など見ていない。ぼくの結婚観は、至極ドライだ。どこまでも「制度」や「法的保障」の話でしかないのだから。多くの人は、そこが解かってない。「結婚」に、過剰な幻想や理念を抱いて空回りしてる。中には「同性愛者は自由なんだから、結婚なんて制度に取り込まれないでやってほしい」などという、反骨精神を持ったロックスターか何かと勘違いする人までわいてくる始末。何とも奇妙な世の中よのう。


 ぼくらを起用してくれたウェディングプランナーさんは、もうすでに何組かのLGBTウェディングを請け負った経験があるそうだ。それで、自分の仕事にも需要があると気づいて、LGBT向けにプランを組むことを思いついたそうだ。法律が動かなくても、世の中はもうすでに先を行っている。そういうことが実感として解る出来事だった。
 本番の写真撮影は来月。羽織袴姿で、岡山のどこかを仲睦まじく練り歩くゲイカップルが居たら、それはぼくらです。どうぞ、お見知りおきを。 

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